Netflix映画「セレニティー 平穏の海」ネタバレ感想! 誰にも予想できない意外な展開

 

f:id:dangosandankai:20190313112922j:plain

 

 

3月8日にNetflixで公開された「セレニティー 平穏の海」。さっそく鑑賞したのですが、いやあとんでもない作品。これがもしNetflix限定ではなく劇場公開されていたら宣伝は大混乱だっただろう。それほどあらすじとの乖離が激しい作品なのだ。

 

ひとまず、Netflix公式サイトからあらすじを引用。

過去を捨て海釣り船の船長をしている男が、突然現れた元妻に、暴力を振るう現夫を殺してほしいと頼まれる。この依頼、受けるべきか断るべきか…。

 相変わらず、端的にしかストーリーを語ってくれないNetflix公式。稀に「そんなあらすじだったか?」と疑問に残るような説明もあるが、この映画においては的を射たあらすじと言えるだろう。だが、ただ船長の葛藤が描かれるだけで終わらないのがこの「セレニティー 平穏の海」。おそらくこのあらすじから映画の結末を当てることは確実に不可能。映画中盤ではとんでもない方向転換が待っているのだ。

 

主人公のディル(マシュー・マコノヒー)は妻と別れ、プリマス島という小さな島で釣り船の船長をしている。船に釣り客をのせて日銭を稼ぐ彼だったが、竿に巨大なマグロがかかると、血相を変えて「自分が釣る」と客を追いやる。そのマグロこそ、彼がジャスティスと名付け、長年釣り上げようと夢見ていたマグロだったのだ。

ディルはジャスティスに相当執着している。それは冒頭の数分で分かることなのだが、その理由はまるで語られない。一体何が彼をそうまでして駆り立てるのか。おそらくそれがこの映画のキモだ。と、誰もが思う。まあ普通に考えたら父親が釣り上げられなかったからその無念を晴らそうとか、大切な人があのマグロを釣ろうとして死んだとか、まあその辺りだろう。そうして彼とジャスティスについての因縁が語られないまま、元妻のカレン(アン・ハサウェイ)が現れる。アン・ハサウェイが金髪姿なのが新鮮で眩しい。

カレンが現れたのには理由がある。暴力を振るう現夫との生活に苦しむ彼女は、ディルに夫を殺してほしいと頼みに来たのだ。まともに取り合おうとしないディルだったが、一人息子で妻たちと共に暮らすパトリックの名前を出され、葛藤する。1度は決意し、カレンの夫・フランクを船に乗せるディルだったが、その日は殺害を実行せずに船旅を終える。

次の出航日の前夜、ディルのもとにミラーと名乗る釣具の営業員が現れる。新型のソナーをぜひ使ってほしいというミラーだが、どうやら彼はディルのフランク殺害計画のことを知っているらしい。そしてミラーはこう言う。「私がルールだ」、と。

 

ここでこのプリマス島の重大な秘密が明かされる。実は、ディルの生きる世界はすべてディルの息子・パトリックがプログラミングでつくったゲームの世界なのだ。プリマス島も人物も、ディル本人すらも実は人間ではなかった。彼の「何としても自らの手でマグロを釣り上げる」という野望すらも、パトリックが父親(本物のディル)と釣りをした思い出から創った”ゲーム”にすぎなかったのだ。ミラー曰く、突然ゲームの目的が変わったのだという。その変わった先にあるゲームこそ、「フランクを殺す」というものだった。

思い返せば確かに妙なシーンはあった。ディルの意識がパトリックと同期する場面。また、ディルは砂漠で倒れている夢を見るとも言っていた(戦争の頃の記憶のようなミスリード)。少し超能力的な要素も入った映画で、それがマグロ釣りと関係するのかとも考えていたが、この展開はさすがに予想できない。調べると、やはりここまでの方向転換には批判も付き物で、ネットでの評判もあまり芳しくないようだ。おそらくこれは、この後の物語にいまいち動きがないのも一因だろう。

ディルの良心との葛藤を描くと見せかけて、世界の真実を提示し、ディルの心情をパトリックの状況下とリンクさせていく。我々が観ていたのは、実はディルではなくパトリックの心の動きだったのだ。毎日のように母親を痛めつける父親を殺すか否か、その葛藤をゲーム上に表現したものが、映画の冒頭だったのである。というとんでもないネタバラシがされた後、意外にも物語は順調に進む。世界の真実を知ったディルは、フランクを殺すことこそが息子を救う唯一の道だと信じて、殺害を決行。偶然にも近所の若者が船に乗り込んでしまっていたりとアクシデントはあったものの、フランクの殺害は成功する。そして、それを見たパトリックも父親を殺害。少年院に入れられかけるが、状況と年齢を考慮されて無事に釈放。最後は、ディルとパトリックがゲーム内で共に船旅へと出るシーンで物語は完結する。

適度に緊迫感もあるし、死んだ父をゲーム内で再現しようという息子の心情がよく伝わってくるのだが、何せ「この世界は実はゲームでした!」という大どんでん返しの後だとどんな展開も小規模に感じてしまう。どうせならディルが良心と息子との狭間で揺れる姿をもっと見たかったし、ゲームオチはラストに明かすだけでもよかったのではないだろうか。個人的には楽しめたものの、期待以上の満足感は得られなかった印象。ただ、こういった話によく見られる「俺たちはゲームの存在でしかないんだ!」と主人公たちがだらだら嘆く展開がなかったのは好印象。そこを父親の暴力に震える息子が実の父親をゲームで蘇らせるという親子愛に繋げているのは巧みなやり方だと思う。アイデンティティーの物語ではなく、親子愛を提示し続ける姿勢は評価したい。

 

キャスト人の演技や演出のどこか違和感を持たせる雰囲気作りはよかったが、総じて脚本に光るところがなかった印象である。むしろこの設定ならもっとできただろと思わずにいられない。前半により多くの伏線を散りばめておけば視聴者が混乱することもなかったのではないだろうか。どんでん返しが強すぎるために、少々もったいない映画であった。