映画『ザ・ファブル』評価・ネタバレ感想! 岡田くんを殺し屋にしておきながら微妙

ザ・ファブル(1) (ヤングマガジンコミックス)

 

凄腕の殺し屋”ファブル”が、一年間だけ身元を偽って普通に暮らす。「舐めてた相手が実は〇〇だった」系の話は近年ハリウッド映画でもよく見られるが、『ザ・ファブル』はそれを連載漫画として更に一段階推し進めた作品だ。主人公・佐藤の殺し屋としての技能は圧倒的で、彼が関われば事件はたちまち解決してしまう。しかし、”普通に暮らす”という任務があるため、基本は自分の身元を偽る。それでも殺し屋として過ごしてきたせいで、どこか感性が人とずれている。そのちぐはぐさが妙なユルさを醸し出しており、なんというか、非常に味のある漫画なのだ。

 

そんな大人気漫画『ザ・ファブル』が遂に実写化。比較的リアルに寄り添った設定のためか、実写化反対の声はあまり聞かず。だが、個人的には予告の時点で「ちょっと大丈夫か?」みたいな懸念は出てきた。レディー・ガガの有名曲を起用というよく分からない宣伝方法、アクションの舞台はかなり狭い場所。しかしジャニーズ屈指のアクション俳優・岡田准一を主演に据えるのだから、アクションは見ごたえのあるものになっているはずだ。そう思い、わざわざ原作を既刊全て読破し映画館へと足を運んだのだが、結果は非常に微妙。なんだろう、そんなに下手でもないのに心に刺さらない嫌な感じ!

 

自分なりにこのモヤモヤの理由を考えてみたところ、やはり期待していたアクションが本当にキツかったことが原因だという見解に至った。主人公は凄腕の殺し屋で、演じるは岡田准一で、敵は福士蒼汰でっていうかなりアクションに秀でた布陣を敷いておきながら、この体たらくは一体どういうことなのか。ちなみに福士蒼汰は背の高いイケメン俳優のイメージだけが先行している方も多いかもしれないが、『仮面ライダーフォーゼ』では見事なバク転を披露し、積極的に生身アクションにも挑戦するなど、かなり動ける方の人なのだ。

 

 

 

そんな彼らを出演させてアクション映画を謳っておきながら、この映画にはかなりキツい演出が目立つ。私が衝撃を受けたのは、冒頭のシーン。ファブルが東京である会談の現場に居た人々を皆殺しにするシーンなのだが、ここでの殺人シーンに奇妙なエフェクトがついている。ビヨーンと白いロープのようなものがどこからか飛び出し、その横にこれまた白い文字で体の部位や距離が書かれている。文字だけでは伝わらないかもしれないが、映画を観た人なら分かってくれるはずだ。要は、ファブルの思考を白い線で表したような演出。これがまあみっともない。銃でバンバン撃ち殺していくだけでも十分にファブルのすごさは伝わるし、物語的に全く不要な演出である。しかし、結果的にその場の全員がこの白い線の餌食になってしまう。正直、私はこの数分で心が折れた。「媚びている」、そう思ってしまったのだ。

 

マンガの実写化に関しては発表されるたびに物議を醸すが、私自身は実写化自体は悪いことだとは思っていない。実写化によって原作の内容や方向性、価値が変わるわけではないし、むしろ週にもしくは月に1度というペースで物語を紡ぐ連載漫画を、どう2時間程度の映画に落とし込むのかという作り手の試行錯誤の結果を楽しみにしている。そういう意味で、私は実写化という行為自体には万々歳な人間なのだ。それを観た上で、面白いか否か、どこがどうダメかをああだこうだと部外者なりに考えるのが実写化映画の醍醐味だと思っている。

 

そういう意味では『ザ・ファブル』は非常に残念な実写化だと言える。物語をうまく2時間にまとめるという意味では成功しているが、やはり肝心のアクションが絶望的である。そして、「媚びている」と思ったことには理由がある。

言うまでもなく(と言ってしまうのも悲しいが)、日本の映画は圧倒的にハリウッドに及ばない。それは作品の価値という意味ではなく、予算的な意味合いでだ。映画市場の規模がまるで違うため、日本の映画にハリウッド映画レベルの金のかかった大作を期待するのは無理がある。更に言うと、日本は実力よりも知名度で俳優を選ぶクセがある。これはハリウッドも例外ではないが、作品を面白そうと思う人よりも、その俳優やタレントのファンに傾いたアプローチが多く行われるのだ。ハリウッド映画の吹替を芸人や若手俳優が担うことなんかが、その証左だろう。

 

こういった邦画の裏事情が、この『ザ・ファブル』では完全に裏目に出てしまっている。監督や編集を担った人間は、明らかに「邦画のアクション映画」を撮ろうとしてしまっているのだ。アクション映画とは、金をかけるだけが全てではない。確かに荘厳なセットで実力派俳優が相対しているだけの映画もアクション映画だが、動ける俳優をひたすらに動かすことで人を魅了することができるのも、同じくアクション映画だ。つまり、金などかけずとも俳優のアクション技術が高ければ、それだけで見ごたえが生まれるのである。そして、上にも書いた通り、この映画にはその人材が揃っていた。それなのに! それなのに!

 

監督や編集は俳優をまるで信じていない。彼らはアクション映画をまるで分かっていないか、そもそもアクション映画を撮るつもりがなかったのかもしれない。知名度のある俳優ばかりが跋扈する日本では、「動けない人でもある程度動けるように見える」ような演出が育ってきてしまった。それはカット割の細かさだったり吹替アクションだったり、とにかくいろいろな方法で、俳優たちをぬるま湯につけることができてしまうのだ。この映画の作り手は、意図的にその手法を用いてしまった。つまり、アクションのレベルを「動けない人向け」に設定してしまったのである。しかし、岡田准一も福士蒼汰も日本の俳優の中ではかなり動ける方。

 

もっと引きのカットを増やすなり銃撃戦以外の攻防を挟むなり、いくらでもやりようはあったはずである。キャスト陣はそんな超絶アクションにもついていける人材を揃えている。それなのに、監督たちは彼らを全く信用せずに撮影に挑み、結果的にアクション映画のはずなのに、いろいろ誤魔化しているように見えるという奇妙な作品が出来上がってしまった。誤魔化す必要などなかったのだ。正に宝の持ち腐れである。

それでいて、白い線のような「分かりやすさ」重視の演出(これがラストシーンにはなくて本当によかった)、主題歌に(意味もなく)レディー・ガガを起用という、とりあえず「劇場に客を呼び込むだけ」のスーパー客寄せパンダ。しかもジャニーズ主演でコメディチックなのだから嫌でも人は入る。その全体像を俯瞰して、改めて「媚びてるなあ…」と思ってしまうのである。

 

レディー・ガガに関してもやはり不満があって。予告編ではもう圧倒的なボーン・ディス・ウェイのせいで、とにかく楽しい映画だと印象付けられてしまうという私の苦手な宣伝方法なのだが、映画の中では一切この曲が使われない。ただエンドロールで流れるだけである。「えっ、何このレディー・ガガを楽しむだけの時間!」と、頭がおかしくなりそうだった。もうどうせなら、佐藤が任務の時は音楽聴くとか設定つけて曲流しながら戦わせたらよかったじゃん! それこそ『ベイビー・ドライバー』みたいな、音楽を効果的に使った演出とかにしてほしかったよ! この映画とガガ様は完全に別物。ガガ様はノリのためだけに利用されたのである。

 

そんなわけで、邦画が積み上げてきた負の遺産が異常なまでにドロッと流れてきた『ザ・ファブル』。ただ、原作をうまくまとめてきたなあという印象はあるし、柳楽優弥の狂った演技は人を引き込む魅力がある。岡田准一の裸体と筋肉も楽しむことができる。ただ、原作のウリはシュールな雰囲気にあるので、それが台無しになってしまっているような感はあり、それでいて完全に大衆向けのギャグに吹っ切れてもいないのが非常に残念。あと何度でも言うがアクションは非常に残念。

 

監督は江口カンという人物。知らない名前だったので調べたのだが、映画はこれが3作目。『めんたいぴりり』がヒットしたそうだが、私は未見なのでよく分からない。惜しむらくは、この映画の編集を担当した人物が、「岡田准一は動ける俳優。編集で誤魔化さなくて良い」と評していることである。ソースはTwitterを参照してほしい。それが分かっていてどうしてこうなってしまったのか……。このツイートでも触れられていたが、この映画、題材がハリウッド映画の『ジョン・ウィック』に非常に似ているので(アクションも似ている)、気になった方は観てみるといいかもしれない。元殺し屋が飼い犬を殺した相手に復讐する物語だ。

 

 

 

 

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