ジオウ放送中の今だからこそ『劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー』を振り返る

劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー

9月から始まった『仮面ライダージオウ』にも登場している、平成仮面ライダー10周年記念の『仮面ライダーディケイド』。過去作のライダーがとんでもないペースで登場することもあって、当時は毎週楽しみにしていた記憶がある。結果的には「お祭り作品」の枠にしか収まらないようなクセの強い作品に仕上がり、賛否両論の嵐を巻き起こした上に後の作品に残念な影響まで及ぼすことになったものの、ディケイドが後の平成ライダーシリーズに残した功績は計り知れない。
先日何気なく観返した「仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」。宣伝では昭和ライダーも含めた全ての主役ライダーが一堂に会し、大杉漣や石橋蓮司が幹部を務める大ショッカーと戦う上に、どうやらオリジナルキャストも何人か出るらしいとのことで話題を呼んでいた。しかし、蓋を開ければ「ライダー大集合」以外の何物でもなく、どう手をつけていいのか分からない怪作。これが以降も続くライダー大集合映画の草分けとなり、後にスーパー戦隊やメタルヒーローまで巻き込んでとんでもないエネルギッシュな作品たちが産まれてきました。
内容に粗が目立ち酷評もやむを得ない今作でしたが、改めて観たということもあり、要素を分解して「一体どういう映画だったのか?」を解明したいと思います。

 

 

変身ベルト ver.20th DXディケイドライバー

変身ベルト ver.20th DXディケイドライバー

 

 

まずはストーリーに沿って感想を。
アマゾンとディケイドの戦闘から始まるこの映画。人気のないスタジアムで門矢士が変身し、すぐに舞台は森の中へ。響鬼にカメンライドして応戦し、アマゾンに勝利するディケイド。その後、スタジアムに強制送還されRXと戦うことに。これ、おそらくは響鬼の異端さが「平成のアマゾン」と称されることによる異端対決がウリだったと思うんですが、それがうまく表現できていない。アマゾンが繰り出す噛みつきや引っ掻きは放送当時の衝撃には遠く及ばず、しかも何故かずーーーーっとディケイド響鬼の腕に食らいつく始末。さすがのアマゾンもそこまでバカではないでしょ。案の定、空いてるもう片方の手でアタックライドされる羽目に。この辺りで観客は気づくんですよね、「あ、これ形だけの”ライダー大集合”だ」と。要するに、公式の手によってファンの間で妄想されていた夢の共演を”中身を伴わせずに”実現してしまった作品なのです。いやそもそも、どのライダーも1年(より短いのもいたけど)近く子供たちの現役ヒーローでいたわけだし、彼らの言葉や所作に感銘を受けて人生が大きく変わった人だったいたはず。子供の頃に目を輝かせたヒーロー達が死んだ目をして戦い合うのを見せられるのはなんの拷問なんだ。しかも、公式の宣伝が昭和ライダーの登場に触れていたこともあって失望は大きかったと思う。
少し時間が戻り、士達がいるこの世界の仕組みが明かされる。士の撮った写真はいつものように歪むことがなく、どうやらこの世界が士の世界であると睨んだ一行。とある洋館に住む少女が士をお兄ちゃんと呼んだことによってその推理は裏づけされることになる。
ここで士に小夜という妹がいたことが明かされる。また怪しげなヒゲが濃い執事の月影も登場。8月終わりの作品とはいえ、TVシリーズではなく夏映画で士が自分の世界にたどり着いてしまうとは。しかし特別なことをしたわけではなく、いつものような偶発的な到着であるためにカタルシスは薄い。ここには理屈が欲しかったところ。それはともかく、士は小夜を置き去りにして1年前に旅に出ていたことが判明。その後、記憶を無くして小夜のことすら忘れてしまった、と。ではその間彼は何をしていたのか?

月影の口から語られるのは世界消滅の背景。ほとんどは第1話で紅渡が言ってたことだけどね…。各世界の仮面ライダーが互いを引き寄せ、世界が1つになろうとしている、と。士の世界も他の世界と同様に滅びの現象が起きていて、それを止めるには最強のライダーを決めなくてはならないらしい。いやこれ初耳なんだけど⁉︎ 渡が言ってたことと違うじゃねえか! でもまあこれは月影がなんらかの策略のためについた嘘なんでしょう。というか、普通そうでしょ。怪しいもんあいつ。月影曰く、士の旅の目的は「最強のライダーを決められるよう、全ての世界を繋ぐ橋を作ること」だそうな。要するに各ライダーに「バトルに参加してねー」って招待状と交通費を渡していたみたいなことらしい。
そして急に空を見上げ、月を見て記憶を取り戻す士。この時点ではモノローグのように見せられるだけなので、詳しいことは分からない。いやあ、TVシリーズで引っ張り続けた士の記憶がまさかこんな形で〜。しかしそのまさかをやるのが仮面ライダーディケイド。で、ここから冒頭のディケイドVSアマゾンに繋がる。

その後も様々なライダーと戦うディケイド。逆に言えば、次々とディケイドにやられていくライダー達。TVシリーズの時点で中身は別人と分かっていてもやはり許せないものがある。そして最終決戦、V3とBLACKとスーパー1対ディケイドとクウガとディエンド。ディエンドはシードらしい。いやその設定いるか? ちゃんと勝ち上がってきたとかでいいでしょ…。しかもディエンド、途中でアタックライドォインビジブゥゥゥで突然帰る。”海東らしいね”で済むレベルじゃないぞこれは。作劇上の数合わせならせめて、士が個別に呼び出すのがセオリーなのに、勝手に来て結果的に3人チームを組んどいて勝手に帰るの完全に海東なんだよな…。いや海東らしいで許しちゃダメなんだけどな。

勝利したディケイドチームの前には大ショッカーの面々が現れ、衝撃の事実を告げる。なんと、門矢士は大ショッカーの大首領だったのだ! 敵と同じ力を用いることが仮面ライダーの共通要素としてよく持ち出されるけど、まさか敵の親玉だったとはね〜。更に士本人の口から彼の旅の真の目的が明かされる。「ライダー討伐」す、す、すげえワード〜〜〜。要するに世界の消滅を防ぐために各ライダーを討伐して回ってたら記憶とベルト落としちゃったテヘッてことでしょ?? ライダーを全滅させた後は大ショッカーの大首領として世界を征服するつもりらしい。

ユウスケと夏海は小夜から過去の話を聞く。ここで、士の目的が「小夜のいるこの世界を消滅から救う」ことである可能性が示唆される。ここから、たった1人の家族を守るためにライダーの殲滅を決意した孤高の戦士という新たなディケイド像が生まれる。まあ肝心の小夜ちゃんが数分しか登場してないんだけど、字面だけならめちゃめちゃカッコいいじゃねえか!!
しかし、士の外出を小夜は曲解してしまう。小夜のことなど微塵も考えておらず、旅をしたいがために妹を一人ぼっちにした最低の兄。小夜の目には士の行動がそう映ってしまったのである。そして、月影はシャドームーンに、小夜はビシュムに、ユウスケも利用されてクウガ・ライジングアルティメットフォームに変身。
実は全ては世界を手に入れるための月影の策略だったのだ! 10分前まで玉座にふんぞり返っていた門矢士は無様に引き摺り下ろされ、結局手に入れたのはジャケットとズボンのみ。妹さえも失ってしまう。月影に追い出され、闇堕ちしたユウスケに攻撃され、夏海には家に入れてもらえない。

そこで、ショッカーの攻撃が始まる。何故か良い人みたいな扱いをされてる鳴滝さんと一緒に怪人から逃げ回る。そこに海東も合流。
一方、士は結城丈二というかGACKTに出会う。かつて士が大首領だった頃、大ショッカーを裏切ったGACKTを拷問し、右腕を奪ったとのこと。名前からしてライダーマンなのかな。やっぱりGACKTだから殺されなかったのかな、などといろいろ考えてしまうが、彼の言葉で門矢士は再び立ち上がる。正直、言ってることはちんぷんかんぷん(意味は分かるけどここで言うことじゃない)だし、そもそも結城丈二の名を冠する以上、大首領時代に士がやってきたことを批判しなきゃいけないでしょ。なのに、「昔のお前はこんなんじゃなかった」とか言って励ましちゃうGACKT。いや多分これホンモノのGACKTでも言わないわ。士も多分GACKTに会えたから元気出たんだろうね。しかしこのGACKT、てっきりライダーマンに変身かと思いきや右腕がサイコガンになってるただのコブラだったというオチ。GACKTなのかCOBRAなのか紛らわしいという事実さえもGACKTの力技でねじ伏せている。これはキャスティングの強みであり、他のキャストだったら誰一人許されない所業。逆に言えばGACKTさえいなければこんなちんぷんかんぷんな奴は出てこなかったはず。大人しくヨ〜ザ〜ネーーーーーーックスッだけさせてればよかったのにどうしてCOBRAにした。

海東は大ショッカーに対抗するため、王蛇とキックホッパーに協力を要請するどころか煽る。完全なる人選ミス。案の定攻撃されるも、ライア・ガイ・パンチホッパーを召喚してその場を去る。海東、マジでこの嫌な采配がやりたかっただけだろ。王蛇とキックホッパーがオリジナルキャストだったからまだ良かったが、全く要らないシーン。むしろオリキャスなんだからもっとちゃんと戦ってほしかったぜ。ていうか、ライダー全滅したんじゃないの??
大ショッカーに追い詰められ、絶体絶命の海東と夏海。そこに現れたのは失意の底から立ち上がった門矢士だった!! 「大ショッカーは…俺が潰す!」元々お前のせいで勢いのついた軍団なんだけどなー。ここで士が自分の考えをまとめてくれます。「俺は全ての世界から拒絶されたが、言い換えればどの世界も俺の世界にできる」とのこと。iPS細胞みたいだね。とりあえず勢いのままに敵を倒すディケイドとディエンド。

最終決戦、ガラガランダとイカデビル率いる大ショッカー軍団に挑むディケイドとディエンド。しかし、多勢に無勢。あっさりとやられてしまう。2人の大ピンチを救ったのは…倒されたはずの仮面ライダー!!!
「必要とされる限り、仮面ライダーは不死身」らしい。は?????? 何の理屈もなく綺麗に横一列に並んで蘇るバカがあるか。しかし、この時点で観ているこちらは既にどうでもよくなっているので、仮にここで1号や2号がバイクで大ショッカーを全員轢き殺しても俺たちは何も言わない。その後は全ライダーのアクションを少しずつ見せ、大ショッカーを倒していく。
そこに現れる闇クウガ。クウガを通してビシュムに声が通じ、そこで士は小夜に向けて言葉を放つ。「あの時、俺はこう言ってあげるべきだった。小夜…お前も跳べる。今度は俺がそばにいる」この言葉で小夜とユウスケは正気を取り戻し、月影が前線に赴く。しかし、初登場補正のかかった仮面ライダーダブルに瞬殺され、ラスボスはまさかのキングダーク。お前今までどこで寝てたんだよ。ファイナルフォームライドォディディディディケ〜イド! で巨大なディケイドライバーに変えられたディケイドが巨大化したJに装着され、巨大なディケイド・コンプリートフォームに。最後は全員のライダーキックでとどめを刺す。帰っていくライダーたち。お前ら移動くらいバイク乗れよ。何仕事帰りみたいにゾロゾロ帰ってんだバカ…。こっちを向いて一言ずつ「っぽいこと」を言う翔一くんとてつを。アマゾンにギギの腕輪を返す海東。返すなら最初から盗むな。それに対してアマゾン「ディエンド トモダチ」。盗まれたのにトモダチって何よ。というか、戦う前に返せな??

エンドロールの横でサラッと描かれる小夜との別れ。ここでGACKTをかぶせるくらいなら削れるシーンが山ほどあっただろうに。士とではなく、自分の翼で旅に出ることを決意する小夜。「お兄ちゃんも自分のために旅してね」

総評

ここまで、ストーリーを追って細々と不満を述べてきたが、ようやくまとめに入る。
この映画はなんだったのか、一旦オールライダーのことを抜きに考えてみよう。プロットとしてはこんなところ。
起:士が自分の世界に帰ってくる
承:記憶を取り戻した士がライダー同士を戦わせ、彼の過去が明かされる
転:月影の策略により小夜が闇堕ち。居場所を失う士。
結:GACKTパワーで正気を取り戻し、大ショッカーを潰す決意を固める

要するに”自分の世界を失った士が、旅そのものに意味(新たに自分の世界を創る・見つける)を見出す”という構成。こう言えば聞こえはいいが、何せ見せ方が悪かった…。
設定自体はかなり面白い。というかめちゃくちゃ仮面ライダーしてる。世界の消滅を防ぐために自ら悪役を買って出るなんて、泣かせてくれるじゃないの。確かに士はテレビ本編でもどこか本心を隠しているようなキャラクターとして描かれていて、記憶喪失も相まって謎が多かった。その彼が、唯一の家族である妹にすら真実を隠しており、ぶっきらぼうな性格から彼女に本心を告げられなかったというのはとても巧い。そして、それが裏目にでる構成も良い。大ショッカーの裏切りを見抜けなかったのはアホとしか言いようがないけど(ゲゲルの謎とかに気づいた勘がいい士なら防げたはず)、結果的に夏海や小夜からも見捨てられてしまい孤独に苦しむ姿は完全に仮面ライダー。世界を旅する能力とディケイドに変身する力を手に入れてしまったがために、「世界の破壊者」として忌み嫌われることを選ぶしかなかった。そんな悲劇のヒーロー像が演出されてるはずなのに、何故か全く共感できないヘンテコ映画がこの映画なのだ。

その要因がオールライダーにある。これをねじ込む必要は本当になかった。結果、動員は大変な記録を打ち立てたのかもしれないけど、作劇上はマジで要らん。ライダーを潰し合う戦いを変に試合形式にする必要も全くない。ちゃんと出場してるせいで過去のライダーまでアホに見えてしまう。しかも、オールライダーがディケイドを立ち直らせるというわけでもない。士を励ますのは1号や2号ではなくGACKT。もうGACKT対大ショッカーでいいだろ。せめて「with GACKT」くらいはタイトルに入れるべきだった。TV本編では各世界の仮面ライダーを士がなんやかんや励まして、カードを手に入れていくってのが恒例だったし、映画ではその逆をやってもよかったんじゃない?? しかも、倒されたライダー達はラストで「死んでないよ。呼べばいつでも来るよ。不死身だよ」みたいな変な距離感で現れる。いやこれヒーローとしてはそれを言うの正しいけどこの映画の文脈でそのセリフは浮くだけだぞ。1号またへんな改造手術でもされたんか??

簡単に言うと、”士の物語”と”オールライダーのゲスト出演”が乖離してしまっている。これ、後に続くヒーロー総登場映画の悪いところでもあるんだけど、「ヒーローがたくさん出ること」が物語の核ではなくてただの客寄せパンダになっちゃってるのよ。最終的にパンダを横一列に並ばせて適当なポーズ取らせとけばいいみたいな軽い考えが透けて見えてしまう。本当にパンダならそれでもきっと可愛いんだろうけど、仮面ライダーは一人一人が世界を守るヒーローで、迷い、苦悩しながらも悪と戦ってきた人間なんだよね。個別にファンもいるわけだし。それを無機質に演出するのは一番やってはいけないことだが、オールライダー対大ショッカーはそれを真顔でやるのだ。

ディケイド自体は結構好きなんだけどやっぱりマトモではないというか。今でもどこか小馬鹿にしながら観てしまう。性質上、過去作未見の人にオススメできる作品でもないし、もう束の間の夢と思うしかない。人によっては悪夢の8ヶ月間だったかも。
それでもやはり、「単なるクソ映画」と一笑に付してしまうのは惜しい。愛すべきバカ映画くらいに思っていたい。白倉P・金田監督・米村脚本の三拍子揃ったライダー大集合映画は何かと批判されがちだが、誰しもが嫌ってるわけではないことをここに表明したい。この記事も結果的に否定ばかりになってしまったけど、1作の映画にここまで書けるってことは俺もこの映画好きなんだろうな。

というわけで、「仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」を改めて観てほしい。特に、当時ディケイドを好きになれなかった人こそ。平成ライダー20作目の節目にこそ、10周年に伝説を作った門矢士という男を話題に語り合おうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

第1話「ライダー大戦」