ミーアキャットスペース

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映画「スイス・アーミー・マン」ネタバレ感想・考察! 喋る死体は現実か幻か

無人島に漂流するのはフィクションの中ではよくある話だ。そういった環境では、主人公が死体に出くわすこともあるだろう。だが、死体と共同生活を送る映画は数あるサバイバルものの中でもこれだけなのではないだろうか。しかも、死体役はハリー・ポッターシリーズで有名なダニエル・ラドクリフ。話題性の塊のようなこの映画、いざ鑑賞してみると死を扱っておきながら(というか死体とずっと一緒にいるし)決して悲劇にならない。それはポスターにある、死体に乗って海を渡る主人公の表情からも読み取れるだろう。俯瞰で見れば背筋の凍る気持ちの悪い話なのだが、妙に心温まるのはなぜだろうか。


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船旅に失敗し無人島に流れ着いた主人公ハンクは救助が来ないことに絶望し、自殺を決意する。首を吊ろうとしたまさにその時、波打ち際で死体を見つけ思わず駆け寄ってみると、死体の尻からガスが出ていることに気づく。そして死体に跨り、そのガスを利用してジェットスキーのように海を渡る(ポスターはその場面)。いや、なにこれ! 冒頭十分ほどのあらすじをざっと書いただけでも、この映画の奇天烈さが分かってもらえると思う。そして、この可笑しさはクライマックスまでずっと続く。

その後、別の島にたどり着いたハンクだが、結局現在地がどこなのかは分からない。どうしていいか立ち尽くす中で、ついに死体が話し出した。これにはボーっと映画を観ていたこちらも思わず目を見開く。予告の時点では死体を心の支えとして生き抜くサバイバルかと思っていたが、まさかファンタジー要素も持っていたとは。まあ、極限状態に陥った主人公が見ている幻影なんだろうなあともの悲しくなりつつも、本当に死体が口をぱくぱくと開けてハンクと会話しているのだ。そして、ハンクの孤独を冒頭でたっぷりと味わった私たちは、彼が死体と会話を続けているだけで妙に泣けてしまう。現実か幻覚なのか分からないままに、二人の交流の奇妙さと切なさにいつの間にか酔いしれている。

文学的に紡がれる二人の物語だが、この映画にはある重要な特徴がある。下品なのだ。下ネタ満載どころか、モラルのない死体のメニーは社会で言えばクズ認定されかねないセリフを次々と吐き出す。この容赦のなさこそが映画が変に格調高くなることを防ぐ、緩衝材となっている。ハンクがスマホの待ち受けにしている一目惚れした女性を見て、「どこかで見たことがある」と話すメニー。そんなわけはないのだが、彼は決して意見を曲げようとしない。しかし、ハンクはこのことを逆手に取る。やたら死にたがっていたメニーに対し、「生き抜けば彼に会える」と説得するのだ。孤独なハンクにはたとえ死体だろうと失うわけにいかない大切な存在だった。


その後も、メニーのワガママな要求は続く。しかしこの要求、見方によってはハンクの自己投影にも見えなくもない。会った当初、メニーは生きる気力を失くしていた。それは、彼に会った時のハンクの心情と全く同じである。また、恋愛が苦手で一目惚れした女性にも声をかけられないハンクと同様に、メニーも彼女に会ったらどうしよう、嫌われないだろうかと思春期特有の悩みを繰り出す。ハンクはメニーの悩み一つ一つに答えていく。勃起って何、キスがしたい、女の子になってくれ……。若干BLの要素を含んでいるようにも思うが、そもそも死体である。そしてその自己投影度が高くなっていくほど、映画を観る我々の脳内には「すべてハンクが見ている夢なのではないか……」という暗雲が立ち込めてくる。同時に、メニーの純粋ゆえに完全にど下ネタになってしまっている願いを叶えようとするハンクの健気さがビシビシ伝わってくるのだ。

メニーが想像しやすいように、木の板や落ちているガラクタでバスを作り、女装をする。端から見れば異常な光景だが、この文学的な雰囲気の前では常識が意味をなさない。もう、ハンクの世界には自分とメニーしかいないのだ。そして、メニーはただの死体ではなく、大切な友達なのだ。


鑑賞中にずっと付きまとう嫌な予感。「もし冒頭の首吊りで既にハンクは死んでしまっていて、全ては浜辺で死体を見た彼の妄想だったらどうしよう」。要するに「シックス・センス」的なアレだ。そんな不安を抱えながらも、この物語の結末を見届けずにはいられない。たとえ妄想だろうと、ハンクの孤独が奇妙な共同生活によって和らいでいく姿を堪能しているのだ。オチなんて観たくない、邪魔しないでほしい。

しかし、物語の終わりは唐突に訪れる。クマに襲われてボロボロになったメニーを運んでいると、ハンクはある家にたどり着く。そこに住む少女が声を上げ、母親が駆け寄ってくる。その母親は、ハンクが一目惚れし続け、今やメニーにとっても大切な人となった女性本人であった。突然のことに戸惑うハンクだったが、それは女性も同じである。何せ、死体を抱えた青年が庭にいるのだ。ほどなくして警察がやってきて、テレビ局のレポーターが押し寄せる。死体とのサバイバルはどうだったのか、長旅から生還を果たした彼は注目の的なのだ。そして、ハンク以外からはただの死体同然のメニーは、死体安置所へと運ばれる。それを必死に止めようとするハンクは、彼を抱えて警察から逃げる。ハンクを追う警察は信じられないものを目にする。ハンクとメニーの共同生活の痕跡だ。叙情的な夢物語だったはずの二人の生活は、現実の介入によって一気に気持ち悪さを帯びる。メニーのためにバスを作ったハンクの健気さは、社会においては猟奇性を示すもの以外の何物でもない。


彼ら2人の友情は、2人があれほど待ち望んだ"現実社会"の登場によってあっけなく幕を閉じる……かのように思えた。海辺に倒れるメニーと彼に声をかけ続けるハンク。彼はただの死体だったのか? 全ては自分の妄想だったのか? そんな不安を払拭するように叫び続ける彼の姿は、涙なしでは見られない。彼を軽蔑する女性や警官たちの視線も相俟って、見事なラストシーンとなっている。

しかし、最後はハンクに奇跡が起きる。倒れていたメニーが屁を放ち、海上を滑っていったのだ。ハンクの声に呼応するかのようなメニーの行動に、人々は呆気にとられる。
そしてハンクは勝ち誇ったように人前で放屁する。オナラは人前でするものじゃないとメニーに教えた彼が、自分の道を歩みだす偉大な一歩だ(下品だが)。

考察 〜現実か幻覚か〜

結局のところ最後までメニーの正体は分からない。本当に存在したのか、ハンクが生み出した幻覚なのか、それとも死後の世界なのか、決定的なことは語られない。

しかし、私は全てが現実であったという説を推したい。というか、少なくともこの出来事、ハンクにとっては紛れもなく現実なのだ。誰がどう言おうと、誰も信じなかろうと、彼にとってはかけがえのない友だちとの時間だった。
全てが現実だという根拠は他にもある。最後に父がハンクを思いやるシーンがあることである。ハンクは父から大切にされていないことをコンプレックスに感じていた。しかし、終盤で父の真意を知る。これを都合がいいのでハンクの幻覚とする声もあるが、それならばあの女性と結ばれるもしくは女性にメニーを紹介する結末でもいいはずだ。ハンクにとって苦くもあり嬉しくもあるラストこそ、現実の象徴だと私は思う。