メガシンカ廃止と聞いて何故か通りすがりの仮面ライダーのことがダブってしまった話

ポケットモンスター モンスターコレクション メガシンカセレクション VOL.1

 

秋に発売予定の『ポケットモンスター ソード/シールド』について、ある発表がされたことでネットが大荒れしている。その発表とは、新作において「メガシンカ」と「Zワザ」の廃止が決定したというものだ。その前には過去作のポケモンを一部しか連れてこれないという仕様が発表されたこともあり、ブーイングがあったり、Switchへの対応ならば仕方ないと擁護する声が出たりと、ポケモン界隈がかなりにぎやかになっている。

 

私自身、ポケモンはルビー・サファイア世代なのだが、メインのゲームはそれぞれ一通りプレイしている。しかし個体値などの細かい作業には拘りがなく、まあ殿堂入りすればいいかなあという程度。お気に入りのポケモンと言われてもピンとこないし、いわゆるライト層なのだと思っている。リリース当初からポケモンGOをプレイしているが、トレーナーレベルは35。この数字を聞けば、私のポケモンへの心構えが比較的緩いことが伝わるだろうと思う。ちなみに、第5世代辺りからは名前すら分からないポケモンもいる。

 

それでも一応サブカルチャーに興味を持っている者として、過去作の評判をある程度は覚えているつもりだ。その朧げな記憶によれば、「メガシンカ」は発表された当初、かなりのブーイングがあったはずである。また、「Zワザ」などの新要素が追加された『ポケットモンスター サン/ムーン』は、ポケモンの特徴の一つであるジム要素すらも撤廃し、かなりの酷評があった。こちらは記憶に新しい。ネット上でも、「当時はメガシンカとか叩いてたじゃんか!」という声が上がっている。そう、「メガシンカ」や「Zワザ」は決して拍手で迎え入れられたシステムではなかったのだ。これはポケモンを多少なりとも知る人ならおそらく自明のことだろう。

 

しかし改めて新作でのそれらの撤廃が伝えられると、人々は悲しみに包まれた。「メガシンカ」の初登場から6年、「Zワザ」の初登場からは3年。この時間の重みと、作り手側の新要素を魅力的に演出しようとする試みが、「メガシンカ」や「Zワザ」への信頼を生み出し、定着させたのだ。この裏でどれだけの試行錯誤と努力がなされたのだろう。その成果もあり、今やこれらは撤廃の報せに涙を流す人々も出てきたというわけである。

 

 

 

 

最初はブーイングの嵐だったものが、時を経て受け入れられていく。そんな状況を私はつい最近別のジャンルで目の当たりにしている。そのジャンルとは、平成仮面ライダーシリーズである。

 

ポケモンの話だと思って読みに来ていただいた方には申し訳ないが、仮面ライダーの話を挟ませていただく。現在平成ライダーは20作品目の『仮面ライダージオウ』を放送中で、過去19作品に登場した人々がゲスト出演するという、正に平成ライダーの集大成とも言える作品になっている。5月から令和が始まり、平成ライダーの歴史はジオウで幕を下ろすことになる。しかしジオウはそのプレッシャーから逃げることなく、平成ライダーの歴史を締めくくろうと果敢に挑戦を続けている。ちなみに現在は39話まで放送済みである。

 

そんなジオウで、物語のキーパーソンとして度々登場するのが『仮面ライダーディケイド』の主役である門矢士。主役なので言うまでもなく仮面ライダーディケイドに変身する。『仮面ライダーディケイド』は2009年1月に放送を開始したライダーで、平成ライダー10周年記念(正しくは10作品目であり、10周年は気が早かった)として放送された作品であり、それまで独立していた各ライダーを同じ画面に繋げる役割を果たした。ディケイドは過去9作のライダーのいる世界(正しくはそれらのパラレルワールドのようなもの)を旅して、次々と世界を救っていく。今では仮面ライダーといえば同期かとツッコミたくなるほどよく集まる集団なのだが、当時は過去の仮面ライダーが共演するということ自体が新鮮だった。

 

しかし、何より震えたのは仮面ライダーディケイドのデザインである。

DETAIL OF HEROES EX 仮面ライダーディケイド 特写写真集 KAMENRIDE【復刻版】

緑の複眼、マゼンタを基調とした派手なデザイン、バーコードモチーフ。それまでも仮面ライダーの容姿についてはよく炎上していたが、ディケイドは特に風当たりが強かったように思う。確かに10ライダーの中では突出して派手だが、少々派手すぎたのだ。また、番組が始まるとライダーはともかく変身者はほとんどが当時のキャストではなく、「誰だお前」状態。個々のエピソードも傑作とはいいがたく、最終的には「本当の最終回は劇場で!」という終わり方をしてしまって、注意まで受けた。さらに、完結編と謳われた肝心の映画も”いつものディケイド”でしかなく、結局『仮面ライダーディケイド』はファンの中に妙なしこりを残す作品になってしまったのである。

 

そんなディケイドが、現在放送中の『ジオウ』にたびたび登場し、ふらっと帰っていく。正にディケイドらしい立ち振る舞いなのだが、私が何より驚いているのは彼が登場すると発表された時のネットの反応である。

「うおおおおおおお! ディケイドオオオオオオオオオオ!」

大概がこのような反応であった。これだけではポジなのかネガなのか分からないかもしれないが、毎週毎週情報に翻弄されたジオウ視聴者は常にこんな状態であり、これは肯定的な表現にあたる。つまり、ディケイドは拍手喝采でジオウの世界に受け入れられたのだ。正直私としては「嘘だろ…」と思ってしまう。10年前にディケイドが放送されたころは、もっとアンチが勢力を伸ばしていたはずだ。それなのに、今このスイカ頭は人々に受け入れられている。10年という月日が人々を変えたのか、はたまた当時幼稚園児だった視聴者が10年の時を経て登場したベストヒーローに嬉し涙を禁じ得ないのか。

 

真相は分からない。また、一部ではディケイド登場を冷ややかに見る層もいるだろう。なんならジオウに対しても肯定的な意見ばかりではないのだ。それどころか、ネット上ではオリジナルキャラクターの扱いについて大ブーイングが起こることもある。しかし、10年前は明らかに虐げられていたディケイドが、今は拍手で迎えられているという事実は変わらない。私の狭い視野ではあるものの、ディケイド登場に対しての興奮はあの頃の冷遇と比べるとかなり差があるように思う。

 

 

DETAIL OF HEROES EX 仮面ライダーディケイド 特写写真集 KAMENRIDE【復刻版】

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かつては受け入れられなかった「メガシンカ」が定着して惜しまれるようになったのと同じく、「ディケイド」も人々からカムバックを喜ばれる存在になっていたのだ。これらを踏まえて私は「時間って無敵だなあ」と改めて思ってしまった。ポケモンでは6年、仮面ライダーでは10年。その時間の重みが人々の想いを作ったのだなあ、と。

 

時間が解決してくれる問題は世の中にもかなりある。当時は人に話せなかったことも、数年経てば笑い話になる。こんな経験はきっと多くの人がしていることだろう。どれだけ人に慰められても消えなかった負の感情も、いつの間にか忘れてしまっていることがある。時が前に進むと、私たちはいつの間にか変わってしまっているのだ。もちろん、今回取り上げた2つに関しては時間の力だけではなく、コンテンツの作り手がキャラクターやシステムに愛を持てるようにと努力した結果もあるのだろう。だが、そこには時間と言う要素が加わっている。メガシンカをさせてきた6年、仮面ライダーが紡いできた10年、個人の中の時間と作り手がかけてきた時間。それらが合わさり、私たちの中に歓喜や悲哀を生むのだ。時間は私たちを少しずつ変化させている。

 

実はこの「時間って無敵」という発言は漫画『溺れるナイフ』に登場するセリフらしい。私は読んでいないので正確な表現は知らないのだが、私の敬愛するロックバンド・Base Ball Bearのボーカル・小出祐介氏が何かでこれについて言及していた。このセリフに触発されて7thアルバムの『光源』を作ったのだと。Base Ball Bearは青春ソングのバンドというイメージが定着しているのだが、彼らがデビューから10年以上の時を経て、今思う「2周目の青春」という感覚が見事に表現されている。当時彼らが歌詞に散りばめた要素が別の意味を持って登場するという、ディケイドも驚きの手口である。

 

 

 

溺れるナイフ(1) (別冊フレンドコミックス)

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光源(初回生産限定盤)(DVD付)

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また、奇しくも『仮面ライダージオウ』がテーマにしているのも「時」。ジオウとは「時の王者」という意味も込められている。

 

仮面ライダージオウ 変身ベルト DXジクウドライバー

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今回の発表で、ポケモン新作に対してネガティブな印象を持った方も多くいるかもしれない。「剣盾買わない」「巨大化とか要らん」という書き込みも多く見られた。しかし、インタビュー等の言葉を鑑みれば、作り手にとっても苦渋の決断だったことは容易に感じ取れる。そこに対して意見が出ることも彼らは承知の上なのだ。だからこそ、そこに対して闇雲に強い言葉をぶつけるのではなく、時が解決してくれた「過去の批判」のことを思い返し、今一度立ち止まってみてはどうだろうか。