- はじめに
- あらすじ
- 予告
- キャスト・スタッフ
- トニー・バレロンガ:ヴィゴ・モーテンセン
- ドクター・シャーリー:マハーシャラ・アリ
- ドロレス・バレロンガ:リンダ・カーデリーニ
- グリーンブックとは?
- 感想(ネタバレあり)
はじめに
アカデミー賞おめでとうございます! 個人的にはNetflix映画の「ローマ」が受賞したら映画界に革命が起きるのではないかと期待していたのですが、そうはならなかった。受賞したのはこの「グリーンブック」。アカデミー賞受賞後すぐの公開+割引のある1日公開ということもあって、劇場はほぼ満員。ほとんどが定年を迎えた老夫婦だった。で、観てきたところ、まあ客層も受賞もそうだよなあと肯ける全く嫌味のない映画。アカデミー賞の番組で映画評論家の町山智弘さんも仰っていたが、「この映画嫌いな人いないでしょっ!」というくらいに清々しい映画なのだ。
しかし、個人的にはいろいろと物足りなさも感じる。この辺りは、感想欄にまとめようと思う。
あらすじ
時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクター・シャーリー、カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、〈黒人用旅行ガイド=グリーンブック〉を頼りに、出発するのだが─。
予告
キャスト・スタッフ
監督:制作:共同脚本:ピーター・ファレリー
94年、ジム・キャリー主演の映画、「ジム・キャリーはMr.ダマー」で監督デビュー。その後も「メリーに首ったけ」「愛しのローズマリー」などヒット作を手掛ける。
私は彼の映画、全く観たことありません。勉強不足でした。
トニー・バレロンガ:ヴィゴ・モーテンセン
妻と二人の息子のために働く父親。粗野で乱暴。怒るとすぐに手が出るタイプ。妻の言葉と報酬額でシャーリーの案内人を引き受ける。お高く留まった上に黒人である彼に最初は反発していたが、旅を続けるうちに次第に仲を深めていく。
トニー本人は実は俳優でもあり、「ゴッドファーザー」などに出演している。
ドクター・シャーリー:マハーシャラ・アリ
トリオのピアノ担当。黒人を受け入れる北部ではなく、敢えて南部での演奏にこだわるのには理由がある。高貴な家の出身のため、粗野でがさつなトニーとはたびたび口論になる。
演じるのは一昨年のアカデミー賞を受賞したマハーシャラ・アリ。余談だが、彼の魅力にハマってしまった方は、同時期公開の「アリータ バトル・エンジェル」でも彼を堪能することができるので是非。
ドロレス・バレロンガ:リンダ・カーデリーニ
トニーの妻。夫の黒人への差別意識に難を示すが、彼と息子二人のことを深く愛している。トニーがシャーリーの仕事を一時は断ったのも、彼女と二か月間離れて暮らすことを躊躇したためである。
旅先のトニーから送られてくる手紙に感動するが、その文はすべてシャーリーが考えたもの。
グリーンブックとは?
「グリーンブック」と検索すると「グリーンブック 意味」とサジェストされることが多い。確かに、日本人には馴染みのない言葉である。
公式サイトによると、
1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブック。ジム・クロウ法の適用が郡や州によって異なる南部で特に重宝された。
ということらしい。映画を観れば分かるのだが、トニーとシャーリーはこのガイドブックに従って旅を続けるのである。映画の中でも度々登場し、この映画を象徴するアイテムにもなっている。
ここから先はネタバレを含むため、未見の方はご注意ください。
感想(ネタバレあり)
前述した通り、嫌味のない映画であった。しかし、もっと突っ込んで言うと、当たり障りのない映画ということもできる。実際、私はそう感じた。黒人と白人の交流を描いた作品としては「最強のふたり」が有名である。私も「グリーンブック」のあらすじを聞いてそれに似たものを想像していたが、「最強のふたり」ほど心を打つ交流があるわけではない。笑って泣けるという謳い文句は適当だと思うが、鑑賞後の感情は意外にもサラッとしていた。
物語の根底に潜むテーマは陰惨な黒人差別である。シャーリーは後述するある理由からまだ差別の根強いアメリカ南部で演奏を試みる。それには、用心棒の役割も果たせる案内人が必要ということで、白羽の矢が立ったのがちょうど職を失ったトニーである。シャーリーはゆく先々で差別や暴力を受ける。バーに入ればボコボコにされ、演奏するレストランなのに食事すらさせてもらえない。そういった負の側面を抱えながらも、物語は軽い足取りで進行していく。それは車内での二人のやり取りが功を奏しているのだ。
シャーリーは高貴な家の出身のため、コンサートホールの上の階の広々とした部屋に一人で住んでおり、やたらと気品を気にする。言葉遣いや訛りにもうるさい。そんな彼とトニーが気が合うはずがない。運転中も些細なことで口論になる。トニーにとっての当たり前がシャーリーにとっての非常識であり、その逆も然り。この凸凹コンビが生み出すゆる~い空気感が陰惨な黒人差別の旅路を暗いものとしないスパイスとして機能している。”黒人と白人のコンビ”であることが強調して宣伝されているが、実際には天才とバカのコンビという単純さも持ち合わせているのである。
反発を繰り返した彼らも、次第にお互いを知って仲を深めていく。金のためと割り切っていたトニーも、シャーリーを心からの親友と感じるようになるのだ。しかし、行く先々で待ち受ける差別に、彼らの仲は全く関係がない。シャーリーが黒人であるという一点だけで、当時のアメリカ南部では差別を受けるのに十分な理由なのだ。そんな理不尽を粗暴なトニーが荒療治で片付ける。この辺りはもう少しカタルシスが欲しかったところだが、実話をベースにしている以上、あまり誇張されて描かれるのもよくないだろう。
終盤、口論の末にシャーリーが車を降りて豪雨の中を一人で歩くシーンがある。私がこの映画で最も胸を打たれた場面だ。彼を止めようとするトニーに、シャーリーは遂に自分がなぜ差別の根強いアメリカ南部で演奏をするのかを話す。以下にまとめるとこうである。
彼は高貴な出の生まれで天才ピアニストだった。だからこそ、仲間の黒人たちは彼を持ち上げる。実力ではなく、出身で判断されているのだ。それは、アメリカ北部での演奏も同じである。賢く見られたいがために、シャーリーの演奏を評価する馬鹿どもに失望している。だから、私は南部へ来た。
うろ覚えだが、大体このような内容であった。シャーリーは白人にも黒人にもなじめない己を嘆き、自分という存在を見てもらうために南部へやってきたのだ。私はここで思いがけず泣いた。シャーリーがトニーに激昂するという事実もそうなのだが、彼がようやく本音をぶつけられた相手が自分と何もかも正反対のトニーであるということが、この映画の核なのだ。
正反対の二人が旅を通じて仲を深めていく。そこに黒人差別の問題が介入していながらも、軽快なテンポに思わず笑ってしまう。と思えば、二人の絆に泣かされる。誰にでもオススメできる楽しいロードムービーだ。
だが、逆に言ってしまえば単調な物語である。取り立てて説明するほど難しいシーンもなく、前述のとおり当たり障りのない物語だ。個人的にもっと感情を揺さぶるような展開があってもいいと感じたが、アカデミー賞も受賞し話題性たっぷりの今こそ観るべき映画なのではないかと思う。